前回の記事で示したように大昔に読んだことのある文章をもう一度読んで新たな感想を味わっていく「Re:Read」を試みてみようかと思います。取り敢えずぱっと思いついたものとして竹取物語があったので読んでみました。古文を読むのは面倒なので日本兒童文庫から出ていた現代語訳を使っていこうかと思います。
溢れ出る気持ちをテキストにするために音声入力を8億年ぶりに使いました。精度がめちゃくちゃ向上していて普通に感動。
竹取物語
というわけで読んでいきましょう。
竹取りの翁といふ人がありました。ほんとうの名は讃岐の造麻呂といふのでしたが、毎日のように野山の竹藪にはひつて、竹を切り取つて、いろ/\の物を造り、それを商ふことにしてゐましたので、俗に竹取りの翁といふ名で通つてゐました。
単純に切るだけではなく加工まで手がけているの、普通に大変そう。
いつも見慣れてゐる藪の竹の中にゐる人ですから、きっと、天が我が子として與へてくれたものであらうと考へて、その子を手の上に載せて持ち歸り、妻のお婆さんに渡して、よく育てるようにいひつけました。
そうはならないだろ。実際に。
法律的に行方不明者の定義は「生活の本拠を離れ、その行方が明らかでない者であって、第六条第一項の規定により届出がなされたもの」となっているので、このような人に出会った場合には警察官へと連絡を行うことが適切な対処ではないかと考えられます。しかしながら身元不明者を即座に行方不明者とみなすことをためらう人もいるかもしれません。このような場合は認知症の方々に出会った場合は遠巻きに観察し日本赤十字社が広報誌に載せているのでこれを準用すれば良いのではないかと考えます。
このことがあつてからも、翁はやはり竹を取つて、その日/\を送つてゐましたが、奇妙なことには、多くの竹を切るうちに節と節との間に、黄金がはひつてゐる竹を見つけることが度々ありました。それで翁の家は次第に裕福になりました。
占有離脱物横領罪では???
翁にはこの子を見るのが何よりの藥で、また何よりの慰みでした。
いい親じゃん。
この美しい少女の評判が高くなつたので、世間の男たちは妻に貰ひたい、又見るだけでも見ておきたいと思つて、家の近くに來て、すき間のようなところから覗かうとしました
時代的に高貴な女性は奥へと入れられている時代なので、少なくとも一目見ようとする人々は様々なことをしてかぐや姫を見ようとしたのでしょう。現在だったらストーカー規制法に引っ掛かりそうですが。
夜も晝もぶっ通しに家の側を離れずに、どうにかして赫映姫に逢つて志を見せようと思ふ熱心家が五人ありました。
熱心じゃなくて迷惑でしょ。
(翁)たゞの人でないとはいひながら、今日まで養ひ育てたわしを親と思つて、わしのいふことをきいて貰ひたい
あくまで自分は拾って育てた身として控えめに捉えている点が非常に好感が持てる。かぐや姫の身を案じているのでしょうか。
わしは七十の阪を越して、もういつ命が終るかわからぬ。今のうちによい婿をとつて、心殘りのないようにして置きたい。
そういっても翁は人間。かぐや姫に良い夫を持たせることがかぐや姫のためになっていると考えていると同時に自分の目標でもあると考えています。かぐや姫に結婚相手を選ぶことを勧めているが動機としては自分の目標達成という。
(姫)今までに、度々お話しようと思ひましたが、御心配をかけるのもどうかと思つて、打ち明けることが出來ませんでした。實を申しますと、私はこの國の人間ではありません。月の都の者でございます。(中略)この八月の十五夜に迎への人たちが來れば、お別れして私は天上に歸ります
(中略)
(翁)竹の中から拾つてこの年月、大事に育てたわが子を、誰が迎へに來ようとも渡すものではない。もし取つて行かれようものなら、わしこそ死んでしまひませう
クソ皇子どものチャレンジは割とどうでもいいので飛ばしてしまいました。しかしながらその後にあるこのシーンは、やっぱりかぐや姫で一番しんみりしているシーンだと思うことから飛ばせませんでした。
かぐや姫は基本的に思いやりを見せているように描かれているので、「御心配をかけるのもどうか」というのが月の人間であることを言い出せなかった理由となっています。言い出せないのは非常に分かるのですが、結局帰ることは分かっているので「自らは月の都の者である」とどこかで明言しておけば、そこまで大事になっていなかった気はします。そうした場合はかぐや姫が月の者であると示すだけの何かしらのイベントをカス皇子や天皇お断り事案以外に用意する必要が出てくるので、物語の筋書きが大きく変わりそうです。
翁は別にかぐや姫が死ぬとは一言も言ってないのに「わしこそ死んでしまひませう」とわざわざ自分を強調して「死んでしまう」と言っています。気持ちは大変に分かりみ。
月の人々の持つて來た不死の藥一壺を添へて勅使に渡し、天の羽衣を着て、あの車に乘つて、百人ばかりの天人に取りまかれて、空高く昇つて行きました
この話で不死の薬をなぜ与えたのかというのははっきりしていませんが、個人的には上で翁が「わしは七十の阪を越して、もういつ命が終るかわからぬ。」と言っているように、翁が死ぬことの(ある意味では)恐怖に苛まれていることをかぐや姫はその成長中ずっと見てきたことから、それを軽減しようと不死の薬を持ってくるように月の人々へ依頼したのではないかと思っています。しかしながらこれはかぐや姫と月との間に通信があったという前提の話なので、これが無い場合は単純に月の人々がお世話になった人間に対して与えているだけのテンプレ返礼品という可能性も考えられます。かぐや姫の事例以外にも月の人々が地球へと鑑賞してきた事案、存在するのかな。
一方勅使は宮中に參上して、その夜の一部始終を申し上げて、かの手紙と藥をさし上げました。帝は、天に一番近い山は駿河の國にあると聞し召して、使ひの役人をその山に登らせて、不死の藥を焚かしめられました。
手紙は燃やしていないことから、やっぱり天皇は姫への気持ちを諦めきれなかったようです。作中内での行動が気持ち悪すぎるので褒められたものではないでしょうが。
この記事の挿絵は(PDなので心置きなく使える)竹取物語絵巻から持ってきたのですが、普通に翁の家の庭で燃やしていますね。竹取物語は古本系と流通本系の2種類にストーリーが分けられることで知られているのですが、そういった違いなんでしょうか。
関連リンク
- 和田万吉「竹取物語」青空文庫。
- "The Tale of the Bamboo Cutter" The Metropolitan Museum of Art.
最後に
やっぱりサクッと飛ばしてしまいがちなところ以外にも、いいところってあるんだよなあ。あかり。
…と思いつつ作業量がえげつないことに気づいてしまったので、適当に読み飛ばしてしまったことに若干後悔しています。いつかきちんとやり直したいな。