イーロン・マスクが「RemovePaywall」の使用を勧める

南アフリカにおける人種間問題を鑑みる必要がある? / 2023-08-05T00:00:00.000Z

「ペイウォール(Paywall)」という概念があります。これは主にマスメディアの電子版やnoteの有料記事でよく見られるもので、(場合によってはタイトルだけということもありますが)ある程度の内容は見せるもののその続きは課金しないと("Pay"しないと)見られないようになっているような形態のことです。この形態はインターネット広告の発展と共に広告収入が得られなくなった紙を伝達媒体としていたメディアが好んで取り入れている手法で、読める範囲を限定したり、フルで読める本数を日単位で限定していたりするものが代表的な形態です。

個人的にはあまり好きではないのですが、広告モデルからの完全転換が出来ないような企業が盛んに採用していることで知られており、マスメディアが生き残るための新たな収益構造として持て囃されています。そのようなペイウォールを取り除いて無料で読むことを何故かイーロン・マスク氏が勧めており、広告モデルによって成り立っていたはずのTwitterの所有者であることを鑑みるとかなりよく分からない状況になっています。どういった状況か分からないので、まとめることを試みようかと思います。

結論

  1. ペイウォールはNYTimesが切り開いた方式
  2. イーロン・マスクがRemovePaywallの利用を勧める
  3. 「Kill the boer」問題はイーロン・マスクにとってかなり重要な問題の可能性
  4. Twitter改め「X」とペイウォールの関係が気にならないくらいの問題…?

ペイウォールとNYTimes

ニューヨークタイムズは日本でもよく知られた新聞社ですが、ペイウォールモデルの先駆者であることでも知られています。ニューヨークタイムズのWebサイトでニュースを読んだことのある方は分かるかもしれませんが、ニュース記事の大半に無料のアカウントを開設するか、一週間に0.5ドルを支払って無制限のアクセスを得るかを選択するように迫るような通知がデカデカと出てきます。これが「ペイウォール」と呼ばれるものです。ニューヨークタイムズはこのペイウォールモデルの導入に早くから取り組んでおり、これによって巨額の利益を得ていると言われています。ニューヨークタイムズの成功を見た他のメディア各社も同様の仕組みを導入し始めたため、こうしたモデルの先駆者と呼ばれるようにもなっています。

一方このようなペイウォールモデルの強化を繰り返したことに対して、情報に対する自由なアクセスの面から批判する向きもあります。例えばユーザーに対して任意の額の支払いを求める(一種のPWYCモデル)ガーディアン紙と対比してその特性を評価されていたりもします。

Remove Paywall

一方ニューヨークタイムズが設置しているペイウォールは「ソフト」なものとして知られています。低速なネットワークを用いて閲覧した際に顕著かもしれませんが、 記事全体を読み込んだのち わざわざ「壁」を表示させているような仕組みとなっています。そのため壁を取っ払ってしまえば比較的簡単に記事全文を読んでしまうことが可能です。ペイウォールを設置しているメディアによっては十分な認証を行ってから初めて記事を送信するのに対し、「壁」を取り払い記事を読むことがとても簡単なことになっております。

この「壁」を取っ払う方法というのはいくつかありますが、その1つに「RemovePaywall」というものがあります。これはリンクを貼り付けるだけで記事全文を自動的に取り出してしまうサービスで、特別な技能を持たない人でも アカウント開設もしくは一週間に0.5ドルの支払い無しに記事を読めてしまいます 。さらにはこのサイトがペイウォールを取り除くのに対応したサイトへとアクセスした際、自動的に「壁」を取り除くようなブラウザ拡張機能まで提供しています。

この前提の下、Twitter改めX社の所有者であるイーロン・マスクさんが本日の2時(JST)にしたツイート(Postに変わりはしましたが個人的にはTweetのままでいて欲しかった)を見てみましょう。

このツイートにおいてはニューヨークタイムズ電子版の見出しをスクリーンショットで共有すると共に、「ニューヨークタイムズは虐殺を支持する神経を持っている。その発行を取りやめる時があるとしたらば今しかない。」「あなたはRemovePaywallを用いることで無料で読むことが出来ます。」というような文章が含まれています。

しかしながらTwitterは広告のみに頼らない収益モデルの構築に勤しんでおり、その1つに「サブスクリプション」というペイウォールの塊のようなものがあります。このようなものを開発しているサービスの所有者が、ペイウォールを取り除くことでニューヨークタイムズへ収益が降ってこないように誘導しているのはその意図を図りかねると言えるでしょう。

ただ私が調べたところ、これには外形的に見ても彼なりの理由があると考えられます。あまり推敲できていないのでまとまってはいないかもしれませんが見ていっていただけると嬉しいです。

ボーア人を殺せ

この背景として「Kill the boer」問題を認識しておく必要があるでしょう。南アフリカの公用語は英語であるため英語で書かれたそれなりに信頼できる情報源が見つかりましたが、多少間違っている部分が含まれるのが容易に想定できますので、その前提でお読みください。南アフリカはかつてアパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策が行われていましたが、これに対する強力な反発運動によってその政策が廃されたという歴史があります。係る反発運動においては様々な手段がとられましたがその一つに歌を歌い団結するといったものがありました。当然ながら白人に対する反発が含まれる歌であって、内容的に過激なものが含まれうるものです。その一つに「Kill the boer」というものがあります。

この曲のタイトルを素直に翻訳すれば「 ボーア人を殺せ 」となります。ではボーア人というのは誰を指すのでしょうか。現在の南アフリカの地域に白人が「入植」し始めたのは1600年代後半と言われており、南アフリカの旧宗主国であるイギリス人…ではなくオランダ人やフランス人が主に入植し始めました。その後イギリス人が「入植」を始めますが、先に「入植」を行っていた彼らはイギリス人とは異なる存在であるという意識をかなり強く持っており(イギリスによる入植がもはや侵略であったというのを除いたとしても)、自らを独立した集団であると考え「ボーア人」というアイデンティティを確立させていきました。「ボーア人」はアフリカーンス語というオランダ語由来の独自の言語を持っており、オランダ東インド会社の支配からの独立及び異言語の国家たるイギリスの侵略からの数十年に渡る抵抗によって、このアイデンティティがさらに強化されていったと言えます。

先述の通りボーア人というのは白人であり、イギリス人とは異なる存在ではあったものの南アフリカの地においては白人の中では大きなウェイトを占めていました。そのためアパルトヘイトに反対している人々によって、白人の代名詞として「ボーア人」という呼称が盛んに用いられました。例えば政府側の人間のことを(実際その人々が何人であるのかに関わらず)「ボーア」と呼称し、アパルトヘイトを(往々にして暴力的かつ強権的に)推進している人々のある種シンボル的な存在として「ボーア人」という名称が用いられました。

ではここで指す「ボーア人」というのはそのような存在であるかというと、これは個人的な考えですが必ずしもそうでは無いと考えられます。原義的なアパルトヘイトに対して反発してこの曲が作られた際の「ボーア人」というのは明らかにアパルトヘイトを推進している人々のことを指しているでしょう。アパルトヘイトが制度上は廃止された現在においては「ボーア人」というシンボルを以って白人のことを指していると言えるでしょう。特に受け取る側の立場を鑑みる必要があると、「ボーア人」が指す存在が異なると言えます。

時は下って1900年代後半になりアパルトヘイトが廃止された後、「ボーア人」というのはアフリカーンス語を扱う人々という意味での「アフリカーナー」よりも民族集団としての独立性を意識した名称として、主にオランダ系の人々を先祖に持つ人々によって使われ始めました。わざわざ「ボーア人」と強く名乗る人々の多くは白人でありかつ多くを持たない人々であって、「アパルトヘイトの廃止によって負の影響を受けた」と考えてしまう傾向にあると考えられます。そのため自らを「ボーア人」として認識している人にとってはこの言葉に対して強く敏感になっている可能性があると言えます。

このような前提の下、南アフリカにおける左派政党「経済的解放の闘士(EFF)」がその設立10周年記念式典で、「ボーア人を殺せ」が歌われたということが今回の問題の発端です。問題となっているシーンはこちらです。これに対して多くの人々が様々な意見を表明しています。もちろん支持するものもあれば反発するものもあります。反発するものの一例として以下のニュースを見てみましょう。

Direct link of this video on YouTube

このニュースでは「DA」という謎の団体がUNHRCに連絡を取ったということを伝えています。ここにおける「DA」とは民主同盟のことを指しており、南アフリカにおいて白人を主な支持基盤としている政党です。もちろん第二党と第三党という関係がありますから政治的駆け引きと見なすことは出来なくもありませんが、純粋に見ればこのような政党がボーア人を殺せという曲を大々的に歌われて何も反応しない方が不自然という形でしょう。

イーロン・マスクと南アフリカ

あまり知られていませんが、イーロン・マスクさんは南アフリカで生まれそこで高校時代までを過ごしています。イーロン・マスクさんが生まれたのは1971年ですから、彼が過ごした時期はアパルトヘイト全盛期となっています。そのような中で強い暴力を同級生から受けながら育った彼には、自由であったり人種間問題について大きな関心があると推測することが出来るでしょう。「言論の自由」について彼なりの強いこだわりがあるのも、アパルトヘイトを推進するために多くの検閲が行われていた場で少年期を過ごしたという側面があることを鑑みれば、自然なものであると考えることも出来ます。

上に示したツイートのようにイーロン・マスクさんはこの「ボーア人を殺せ」という曲を大勢で歌った経済的解放の闘士に対し、「彼らは南アフリカで白人のジェノサイドを公然と推進している」としており、南アフリカの最大党であるANCの党首に対して「なぜ何も言わないのか?」と問いかけています。

ニューヨークタイムズの記事

ようやく本題に戻ってきたような気がしますが、イーロン・マスクさんが「虐殺を支持する神経を持っている」とまで形容したニューヨークタイムズの記事はどのようなものでしょうか。「‘Kill the Boer’ Song Fuels Backlash in South Africa and U.S.」を読んでいきましょう。

この記事においてはイーロン・マスク氏のツイートを踏まえたインタビューをネルソンマンデラ大学のNomalanga Mkhize氏に対して行っています。Mkhize氏は19世紀の南アフリカ史と土地の分配、ジェンダーと言語及び若者によるサブカルチャーを中心に研究されており、アパルトヘイトそのものについての直接的な専門家とは言い難い部分はあるものの、十分に関連した専門家であると考えられます。

インタビューによればこの「ボーア人を殺せ」というのはその 言葉通りに受け取られるべきではないもの であって、あくまでもその歌詞は個々の人々を襲撃することを意図しているのではなく(シンボルとしてのボーア人に対する抵抗への)団結のためにあるものであるとされています。あくまで植民地を支配していた勢力による土地の没収に対する抗議のために用いられ、現在では格差の解消に十分な対処を行えていない現状に対しての団結の曲であるということだとのことです。またこの曲が10年前に歌われた際には裁判所によってヘイトスピーチであると裁定したものの、1年前に同様の裁判が行われた際には「危害を加えたり憎悪を広めたりする明確な根拠がこの歌詞にはない」としていることについて触れています。

この問題とペイウォール

以上見たように、南アフリカの人々においてはこれは単に反アパルトヘイト運動に使われた団結の思い起こさせる良い曲であるという意見がある一方、イーロン・マスク氏個人の信念としては「ボーア人を殺せ」というのはヘイトスピーチの1つであるということが考えられます。すなわちイーロン・マスクさんの視点からすればニューヨークタイムズはその記事によってヘイトスピーチを広めているメディアであって、その収入源に対して敬意を払う必要が無いということになります。

こう考えればTwitter改め「X」がある種のペイウォールを用いた開発を行っているのに対し、その所有者がペイウォールを取り除くツールを勧めるという不思議な関係に対して理解を示すことが出来るのではないかと思います。もちろんこれはあくまで1つの視点であるので、確たる証拠があるようなものではありませんが参考になれば幸いです。

関連リンク

最後に

かなり外形的な分析しか出来ていませんが、今回なぜイーロン・マスクがRemovePaywallを勧めているのかについて考えてみました。Twitterが広告モデルからの脱却に四苦八苦しサブスクリプションというある種ペイウォールを導入しているのに、その所有者がこれを取り除くツールを用いてニュースサイトを閲覧することを勧めるという摩訶不思議に見える構造の背景には、このようなものがあるのではないかと思われます。最も背景情報についてはかなり省いた部分もありますし十分に裏取りが出来ていない部分もあります。

誤っていると考えられる部分がありましたら、ご意見をお寄せいただければと思います。なお日本の著作権法においては引用が認められておりますし、このコンテンツはCC BY-SA 4.0でライセンスされていますのでこれらに則って自由にコンテンツを作り出していただくのも歓迎です。

Writer

Osumi Akari